ジェンダー論的授業のノート。面白かったので、ブログにも書いておきます。
バリアフリー、ジェンダーフリー (和製英語) は、free from… (… から解放された) に由来すると考えられますが、我々は、バリアのない、と理解しがちです。しかし、これは本来は誤りです。
バリアフリー == バリアから解放された ≠ バリアがない
同様に、ジェンダーフリーという言葉においても、
ジェンダーフリー == ジェンダーから解放された ≠ ジェンダー (性差) のない
という誤解があり、これに基づいてジェンダーフリーバッシングを行う人も多いようです。
本来のジェンダーフリーとは、人間というものをジェンダー (性差) のみで判断し、役割を固定してしまうことから解放することで、性差を全くないとしてしまうことではありません。
例えば、
(1) トイレ、公衆風呂、更衣室など、は男女別に分かれていて良い
ですが、だからといって
(2) 下駄箱や名簿などは、男女別にわかれていて良い
というわけではありません。
# 個人的には、理屈の上ではトイレ、風呂、更衣室なども、分かれていないべきだと思いますし、
# トランスジェンダーや X ジェンダー、インターセックスなどのことを考えると、実際その必要性もあると思いますが、
# そうしてしまうと不快に感じる人もいるので、当面は多目的トイレなどの設置などが、次善策として適切かもしれません。
●脳による性差
脳による性差というものを持ち出されると、非常に科学的に見えるため、なかなか反論がしづらいわけですが、
脳による性差を考える時に念頭に置かなければならないことは、
(1) 1つとして同じ脳は存在ない。男女によって異なるのではなく、個々に異なる (個性)
(2) その個々に異なる脳をグルーピング、カテゴライズして、いかに意味づけるか
ということです。
(1) に関しては、例えば “女は感情的だ” とする人がいますが、これは不適切です。
仮に女性よりも男性の方が論理的に物事を考える傾向にある、とする統計結果があるとしましょう。
(そういった結果は、私は実際には聞いたことがありませんが。)
そうだとしても、女性の中で最も論理的な人と、男性の中で最も感情的な人を比べた場合、
男性の方が論理的に考える傾向が強いから、この男性の方が論理的思考力があるだろう、とする推測は、当然に誤りです。
(2) に関しては、カテゴライズの仕方としては男女だけではなく、年代、生育環境、その他多くの分け方があるわけですが、
その中で男女で分けるのが本当にその場において適切なのか、考える必要があります。
例えば、
(a) 高い所のものを取るのは男が取るべき
という考え方は不適切です。
これは、身長の高さなどで判断すべきで、たまたま男性の方が身長が高い場合が多いだけに過ぎません。
あるいは、
(b)重いものは男が持つべき
という考え方も不適切です。
これも、力の有無で判断されるべきです。
# 実際に調べてみると、女性の方が力が強いというケースも結構あるとかないとか… [要出典]
(c) 料理は女性がすべき
というのも不適切です。
料理が得意、好き、時間の有無などが判断材料になるでしょう。
(まぁそもそもどっちかがやる、という範囲での考え方もアレですが。)
(d) 子は女が産むべき
というのは、大体適切…というか、少なくとも男は産めません。
(もちろん産む、産まないの判断はありますが)
しかし、これを拡大解釈して、
(e) 子は女が育てるべき
という不適切な解釈に向かってしまう人もいますが、これは当然に不適切です。
# まぁ母乳がどうのという話もあるので、至極部分的には正しいところもあるかもしれませんが、
# 基本的には不適切。
(f) 女性専用車両
は理屈として不適切ですが、痴漢の現状などを考えると、次善策としてやむを得ないだろう、
という先生の意見です。私としても、大体賛同です。
(g) レディースデイ
は、理屈として不適切で、個人的にはあまりいい感情を抱きません。
あと女子会プランもなんだか微妙。
まぁあまり目くじら立てなくてもいいとは思いますが、なんだかなぁ…
結論として、性差の有無が問題になるわけではなく、どんな時に性差を強調するのが妥当か、ということが問題になってくるわけです。
ちなみに、生物学的性差を考える際にも、ジェンダーによってバイアスがかかる、という考え方も、有力な意見として存在するようですが、軽くググったらあまり出て来なかったですね… もう少し調べてみます。